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Gallery Comfart 開館に際して
写真とエッセイの組み合わせは、それ自身は決して新しくも珍しくもない手法である。写真それ自身、エッセイそれ自身もまた、どこにでもあるような、いわば陳腐な作品群である。ならば、なぜこのような試みを行ったのか?それはこの手法によって作者を表現することができるからである。
本当の意味での優秀な写真家、エッセイストならばエッセイや写真の力を借りることなく、作者の意図したことを表現できるだろう。しかし単独ではどうしても私の意図したことを表現することができなかった。
私の意図したこととは、私と同じ感動を味わってもらうこと。
光をデバイスに蓄積するときの私の感動を、その生成物たる写真を通して味わってもらいたい。光以外の、風、音、空気、温度・・・。そういったものから成る私の感動を感じてもらいたかった。
そもそも写真とは、時、空間を共有した者同士(或いはそれが時、空間を共有した自分一人でもいい)が再び、時、空間を疑似共有できるように、脳に閉じこめられている思い出を引っぱり出す、言わば "しおり" の役目でしかないと私は思っている。写真それ自身は決して主役ではなく、あくまで思い出が主役なのである。ならば、時、空間を共有していない者に、その "しおり" だけを見せて、思い出を共有することができるのか?今の私の技術では、答えは "否" である。
それでは、今回の試みで私の意図が達成できたかというと、それは程遠いと言わざるを得ない。しかし副産物が得られた。写真、エッセイを通して、私の人となりを表現する術が得られたことである。今回の試みによって、私とはこういう人間だということを、僅かながら送出することができた。
遠い将来、私が作った "しおり" が、あなたと私に共通の感動を味会わせてくれる時がくると確信している。人である限り、あなたも必ず私と同じ古い記憶をDNAの中に持っているに違いないから。
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